自分が社会に対して貢献できるのは、どういう事なのか?興味はあったけれど、これまでかなり曖昧なままで過ごしてきた。
もっと自分を変えたい、何かに突き進みたい、という思いから、できる範囲での「プロボノ」的な活動には参加してきたものの、肉体労働がメインの、いわゆるボランティアは面倒そうなので忌避していた。今思うとかっこ悪い。
それが3月11日を体験して以降、もっと直接的なアクションを起こさないといけないという気持ちが強くなった。
正直に言って、何もしていない自分に耐えられないという感じだった。
そこから、色々なボランティア参加方法を探してみたが、週末だけで終始できて、金銭面でのコストが圧倒的に低く
周囲の情報提供で大体の活動内容がわかるレーベン号が、はじめの一歩にもっとも適当だと感じて、そこに参加した。
具体的な活動内容としては、完全に破壊された牡蠣の養殖場跡に埋まっているゴミを分別して片付けることをやったが
ボランティアの一員になって、黙々と体を動かすのは、自分に取ってもかなり説得力があった。
まだ一度きりとはいえ、実際の体験からは、学べることがいろいろある。
・海に面した山の上のほうの木に養殖網がかかっていたり、船が打ち上げられて倒れていたりしていたが
分別して片付けることや、きれいにヘドロをかきだす事など、大量に残されたこまかな作業は、機械では出来ないということ。
・震災の被害がテレビ画面のそのままで、本当に甚大だという肌感覚をもてたこと。
・復興への道のりは、ただひたすら続いていくということ。
・ボランティアとして現地で活動する人々の有り方が一様ではなく、色々な形であること。
・自分の東北への思いをすえる場所が出来たこと。
作業の途中、そこの漁師さんに話しかけられて胸が熱くなったりしたけれど
改めて振り返ってみると、割と淡々とした思いがある。
破壊された街や村の、次の形はどうなるのか、すぐには見えてこないし
感情的になって騒ぎ立てても、それだけでは、物事は中々動いていかないと思う。
すごく画期的で新しい何かが、すべてを解決してくれるという事も、無いんじゃないかと。
だからこそ、一歩づつ踏み出して自分が出来ることを見つけて、それを続けていくことが大事なんだろう。
わずかでも、これまでと違う一歩を踏み出すという事。
派手でエポックメイキングな事も面白いけれど、今は地道に動き続けることがしっくりくる。
僕の活動は、まだ始まったばかり。
自分の身の回りのことも含めて、着実にアクションしていくつもりだ。
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