2012年2月28日火曜日

イベント企画

自分が行ったいろんな生産地の食材を使ってメニューを作り、その地元情報や旅の顛末を面白おかしく伝えるカフェイベント
産地を謳う飲食店は色々あるけれど、その逆の考えで、いろんなが産地が近所のお店にやってくる、お店がメディアになる

2011年12月2日金曜日

食事

食事で満足するのは、胃袋だけじゃない。
味覚、触覚、視覚、聴覚、嗅覚の五感はもちろん
記憶や、感情も満たしていく。

これを考えると、
食育って言うのは栄養価の勉強に留まらず
調理の技術に留まらず

楽しく食べる、食べて嬉しくなる事を学ぶ事なんじゃないか?

子供と食事をしていて、そう思った。

凝ったモノを作るより、一緒におにぎり作ったら楽しいよね?
そうしたら、朝ごはんもしっかり食べてくれた。

2011年11月25日金曜日

いただきますの日

思いつきで、いただきますの日と言うイベントに参加した。
そこで聞いた話は非常に感動的で
何度泣きそうになったか知れない。

お弁当を、小学校の五年生と六年生に、自分だけてで料理をしてもらう、と言う試みを10年位続けている学校の話だ。

食を見直すことで、家族や社会が見えてくる
そこには辛いことや悲しいこともあるけれど
始めること、続けて行くことで分かる嬉しさが待っている。

そんな事を感じました。

一人でも多くの人に、知ってもらいたいので紹介します。
竹下和男さんと言う人です。
出来れば、直接講演を聞いてみて下さい。
そして、子供や大切な人に料理を作ってあげて下さい。

僕も、生まれて初めて
親やおばあちゃんに、料理を作りたくなりました。

2011年11月23日水曜日

食育と外食業

食育って何だ?

って言うことは、かなりいろんな解釈があると思う
そのなかで、あくまで私見では、楽しく食べるための方法なのだと考えている。

とくに、一部の外食業では「楽しい」を勘違いしているせいか
食事が二の次になるような仕掛けを凝らしている。
奇抜な格好をした店員が、奇抜な言葉で、不思議な盛り付けの料理をサーブしてくる。
よく考えてくれ、それだと食事は楽しんでないんじゃないか?と、言いたい。

食事の楽しさって、そんなものだろうか?
その場の会話や、一緒に過ごした人、店内の雰囲気、行き帰りの道までが味に影響するだろう
しかしながら味そのものを超えてしまうものがあるなら、それはもう食事という概念なく単なる賑やかしに過ぎないと思う。

それはもう、命をつなぐ食事ではない。
「食べる」ということを考えること、どう食べるのかを考えること、それが食育なのだろうが
外食業に携わるものは、如何に食事自体を楽しんでもらうか、を気にするのが本筋だろう

安いから、奇抜だから
そういったお店作りで、ファンの心をつかんで話さないレストランが出来るのか
外食に関わる方には、是非とも食育でその答えを掴んでもらいたい。

2011年9月25日日曜日

ボランティア体験記

自分が社会に対して貢献できるのは、どういう事なのか?興味はあったけれど、これまでかなり曖昧なままで過ごしてきた。
もっと自分を変えたい、何かに突き進みたい、という思いから、できる範囲での「プロボノ」的な活動には参加してきたものの、肉体労働がメインの、いわゆるボランティアは面倒そうなので忌避していた。今思うとかっこ悪い。

それが3月11日を体験して以降、もっと直接的なアクションを起こさないといけないという気持ちが強くなった。
正直に言って、何もしていない自分に耐えられないという感じだった。

そこから、色々なボランティア参加方法を探してみたが、週末だけで終始できて、金銭面でのコストが圧倒的に低く
周囲の情報提供で大体の活動内容がわかるレーベン号が、はじめの一歩にもっとも適当だと感じて、そこに参加した。

具体的な活動内容としては、完全に破壊された牡蠣の養殖場跡に埋まっているゴミを分別して片付けることをやったが
ボランティアの一員になって、黙々と体を動かすのは、自分に取ってもかなり説得力があった。
まだ一度きりとはいえ、実際の体験からは、学べることがいろいろある。

・海に面した山の上のほうの木に養殖網がかかっていたり、船が打ち上げられて倒れていたりしていたが
分別して片付けることや、きれいにヘドロをかきだす事など、大量に残されたこまかな作業は、機械では出来ないということ。
・震災の被害がテレビ画面のそのままで、本当に甚大だという肌感覚をもてたこと。
・復興への道のりは、ただひたすら続いていくということ。
・ボランティアとして現地で活動する人々の有り方が一様ではなく、色々な形であること。
・自分の東北への思いをすえる場所が出来たこと。

作業の途中、そこの漁師さんに話しかけられて胸が熱くなったりしたけれど
改めて振り返ってみると、割と淡々とした思いがある。
破壊された街や村の、次の形はどうなるのか、すぐには見えてこないし
感情的になって騒ぎ立てても、それだけでは、物事は中々動いていかないと思う。
すごく画期的で新しい何かが、すべてを解決してくれるという事も、無いんじゃないかと。

だからこそ、一歩づつ踏み出して自分が出来ることを見つけて、それを続けていくことが大事なんだろう。
わずかでも、これまでと違う一歩を踏み出すという事。
派手でエポックメイキングな事も面白いけれど、今は地道に動き続けることがしっくりくる。

僕の活動は、まだ始まったばかり。
自分の身の回りのことも含めて、着実にアクションしていくつもりだ。

2011年5月18日水曜日

食育講師への道

最近、講師として登壇するための準備を行っている。
これまで勉強した事を、ここで再確認しているのだが
おかげさまで自分の食育に対するスタンスが定まってきたような気がする。

「楽しく食べる」為の食育。

これだ。

2011年5月7日土曜日

ユッケ

この食中毒問題は、食に関わる者全体の問題でもある

法規制と食文化の問題
衛生管理の問題
組織管理の問題

そして情報面も含む危機管理の問題

危機管理は、トヨタやソニーでもやりきれない大きな問題だけど
食は命に関わるので、しっかりと対応して欲しい

不当な安売りやクーポン文化が廃れますように